2026.01.09

建築コストが高騰し続ける、7つの構造的な真実
「もう少し待てば、相場は落ち着くのではないか」
そんな淡い期待を抱いている方に、まず残酷な真実をお伝えしなければなりません。私たちが知っていた「坪単価」や「手頃な注文住宅」の時代は、もう二度と戻ってきません。
現在のコスト高騰は、単なる一時的な物価変動ではないからです。日本の建築構造、そして社会そのものが抱えてきた「歪み」が一気に噴出した結果です。なぜ、ここまで高くなってしまったのか。その生々しい実態を、現場の視点から解説します。
1. 「職人の消滅」という、金で解決できない危機
最大の要因は、木材や鋼材の価格以上に、**「熟練した職人の圧倒的な不足」**にあります。かつて現場を支えたベテランたちが次々と引退し、その技術を継承する若手が圧倒的に足りていません。今、現場に腕の良い大工、左官、設備工を呼ぶことは、もはや発注ではなく、一種の「奪い合い」です。職人の手を確保するために、以前の数倍の労力と対価が必要になる。これは、かつて建設業界が「安さ」を追求するあまり、現場の人間を使い捨てにしてきたツケが、今、施主に回ってきているということに他なりません。
2. 「並」の家が、法律上建てられない現実
国が求める「性能基準の義務化」が建築費の土台を押し上げました。断熱性能の適合義務化、耐震基準の強化。これらは住人の安全を守るためのものであり、その理念は正しい。しかし、現実問題として、目に見えない部分に膨大な「手間と資材」を強制的に投下させることになりました。壁の中に隠れる断熱材の厚み、複雑化する構造金物、緻密な計算に基づいた施工プロセス。かつての「並」の家は、今の基準では「建ててはいけない家」です。最低ラインが底上げされた以上、価格がかつての水準に戻ることは物理的にあり得ません。
3. 現場を疲弊させる「申請業務」の複雑化
法改正が繰り返されるたび、建築に必要な書類の山は高く、複雑になっています。かつては数枚で済んだ申請が、今や膨大な計算書と図面を必要とし、その審査を待つだけで工期が数ヶ月単位で伸びることも珍しくありません。この「目に見えない事務コスト」と、工期長期化による経費の増大が、家の価格を確実に押し上げています。
4. SNSの情報過多による「気遣れ」のコスト
SNSで手に入る断片的な知識に、施主も、そして作り手側も振り回されています。「この部材を、この工法でやってほしい」といった過剰なまでのこだわりや、情報の精査に追われる時間。それらに伴う現場の「心理的ストレス」と「過剰な確認作業」は、結果として現場の回転率を下げ、予備費という名のコストとして跳ね返っています。
5. 「補助金の闇」―― 結局、安くなっていないカラクリ
補助金制度には落とし穴があります。補助金を得るために、それ以上のコストがかかる「超高性能な設備」を導入しなければならないケースが多々あるからです。結果として、補助金をもらっても手出しの額は増え、複雑な申請手続きのために建築士の工数だけが奪われる。これが「補助金をもらっても家が安くならない」実態です。
6. 燃料費とローン金利の高騰という「外部圧力」
燃料費の高騰は、建材の製造・輸送すべての工程にエネルギーコストを上乗せしました。さらに物流の制限が運賃を劇的に上げました。これに加え、ローン金利の上昇局面が重なり、建築費と支払利息の両面で施主の首を絞める構造になっています。これらは個人の努力でコントロールできる範疇を超えています。
7. 無理な予算削減が招く「見えない負債」
総支払額が膨らむ中で、無理に予算を抑えようとすれば、削られるのは職人の「手間」や「考える時間」です。高騰した今だからこそ、無理な減額は、そのまま建物の寿命を削り、将来的に雨漏りや歪みといった「数千万の負債」を抱えるリスクを増大させています。
建築コストが高騰した現在、家を建てることはもはや「お得な買い物」ではありません。これらの事実を理解することこそが、後悔しない家づくりの絶対的なスタート地点となります。

2026.01.16

「損得」で家を建てるなら、今はやめたほうがいい。
「相手に合わせて、家を建てるのはやめたほうがいいですよと伝えてあげられる建築士でありたい。」
私はそう決めて、組織を離れ、独立しました。もし、目の前の人が「今、無理をして建てるべきではない」状況にあるのなら、私はプロとしてその事実を真っ向からお伝えします。
現在の建築コスト高騰を見れば、家を建てることは以前のような気軽な消費ではなくなりました。「もう少し待てば安くなるのでは」という淡い期待も、構造的な人手不足や法改正を考えれば、現実的ではありません。だからこそ、家を建てる動機が「資産形成」や「効率的な買い物」といった数字上の損得勘定にあるのなら、私は「今はやめるべきだ」と進言します。
建築コストは「養育費」である
私にとって、家を建てることは「投資」ではありません。それは「子育て」に限りなく近い、終わりのない責任を負う行為だと思っています。子供が成長する過程で、予期せぬトラブルに向き合い、相応の手間と費用をかけ続けるのと同様に、家もまた、完成した瞬間から経年による変化が始まります。
その変化に対して、都度手を入れ、修正し、状態を維持していく。投資家はこれを「修繕コスト」と呼びますが、私たちはそれを「親としての責任」に近いものだと考えます。家を建てるということは、一つの建築を一生をかけて維持し、共に歩んでいくという、泥臭い覚悟の表明なのです。
暮らしの質を育むということ
では、なぜそれほどの手間と金をかけてまで、人は家を建てるのでしょうか。
それは、家がそこに住む人の人生に寄り添い、共に時を重ねることで、かけがえのない安らぎをもたらしてくれる存在だからです。家は単なる不動産ではありません。雨風を凌ぐだけの箱でもありません。それは、あなたの人生の喜びや日々の平穏を、何十年にもわたって受け止め続ける「暮らしの質」の土台です。
「どこを削れば損をしないか」という議論ばかりが先行する今だからこそ、あえて問いたいのです。その手間を愛せるか。その責任の中に、自分自身の幸せを見出せるか。
コストが高騰したこの時代に家を持つということは、数字上のコスパを超えた「特別な覚悟」を必要とします。私は、家を単なる箱ではなく、共に歩むべき、手のかかる、しかし替えのきかない大切な場所として扱いたい。そんな覚悟を持つ方のために、私は職人としての全神経を使い、数十年先の手入れに耐えうる住まいを形にします。

2026.01.23

「いくらあれば、納得できる家が建つのか」21坪・2,600万円という境界線
今の時代、標準的な30坪の広さを求めるならば、建物本体だけで3,600万円(税別)以上の予算が必要です。これが、性能と質を最低限担保するための「現代の相場」です。
もし、この現実に届かないのであれば、私は30坪という数字に固執することをお勧めしません。代わりに、面積を27坪に凝縮し、3,300万円(税別)で建てる。面積を絞り、その分を素材や断熱、日々の居心地に投資する。その方が、結果として人生の満足度は確実に高まるからです。
この「密度を上げる」という考え方を突き詰めた先に、一つの境界線が存在します。
それが、**「21坪・2,600万円(税別)」**という選択です。
「坪単価」という数字の裏側
21坪という広さは、30坪に比べれば確かにコンパクトです。しかし、ここで理解しておかなければならない道理があります。面積を絞れば建築費の「総額」は下がりますが、「坪単価」は必然的に上がります。
キッチンや風呂といった住宅設備、基礎や屋根といった根幹部分のコストは、家の面積が小さくなったからといって劇的には減らないからです。21坪の家は、余剰な空間を削ぎ落とした結果、一坪あたりの密度が極めて高い住まいになります。
この道理を無視して、総額だけでなく坪単価まで無理に下げようとすれば、どこかで「家の質」を犠牲にするしかありません。私は、そのような「数年で価値を失う家」を世に送り出したくはありません。
21坪は、人生を最適化する「器」
21坪という広さを、単に小さいと捉える必要はありません。都会のマンションでは核家族が当たり前に、豊かな工夫を持って暮らしている面積です。そして戸建てには、同じ面積のマンションには決して真似できない「土地という余白」を活かす術があります。
「いつか必要になるかもしれない」という予備の面積のためにローンに縛られるのではなく、今、この瞬間をどう心地よく生きるかにフォーカスする。維持管理や掃除の負担を減らし、浮いた予算を断熱性能や肌に触れる素材へ配分する。21坪という選択は、本質を見極めた、知的な生き方の表明なのです。
戸建ての特権を、コスト戦略に組み込む
唯一の懸念点である収納量は、高価な「建築面積」の中に抱え込む必要はありません。マンションとは異なり、戸建てには「庭」があり「外」が使えます。
数万円の既製品の物置を屋外に置くだけで、収納不足は鮮やかに解決します。家の中を「生活を慈しむ場」として最大限に活かし、たまにしか使わないものは外で管理する。さらに、窓の先に広がる庭という空間が、視覚的な開放感をもたらし、数字上の面積以上の広がりを暮らしに与えてくれます。
面積を絞り、戸建ての特権を賢く活用することは、**「暮らしを洗練させること」**に他なりません。予算を、家族の安全(構造)と心の平穏(居心地)へ正しく集中させるための、必然的な戦略です。
最大のコストダウンとは、安い建材を探すことではなく「自分にとって本当に必要な豊かさは何か」を明確にすること。その答えが、たとえ「今は建てない」という結論であっても、それはあなたの人生を守るための、最良の設計図になります。

2026.01.30

構造・省エネ・意匠 ―― なぜ「正三角形」のバランスが暮らしの質を決めるのか
今の家づくりにおいて、もっとも危うい傾向は「スペックの偏重」です。
耐震等級3、断熱等級7。これらは確かに重要な指標ですが、お会いする前からそれらが絶対の正解として決まっているのは、おかしな話です。それは住み手のための設計ではなく、作り手側の「アピール戦略」に過ぎないからです。
家という場所の「暮らしの質」を形作るのは、**「構造」「省エネ」「意匠」**という三つの要素の調和です。これらはどれか一つが突出しても、どれか一つが欠けてもいけません。この三つが美しい「正三角形」を描くことこそが、設計の本質です。
「意匠」とは、暮らしの質そのもの
ここでいう「意匠」とは、単に見た目を着飾ることではありません。それは、「居心地の良さ」や「家族の変化を受け止める可変性」といった、数値化できない設計の力を指します。
例えば、家族の気配を感じながらも個の時間を守れる絶妙な距離感。20年後、子供が独立した後に別の使い方ができる「間取りの余白」。窓から差し込む光の入り方、風の抜け方、ふと触れる素材の質感。これらを置き去りにして、構造や省エネの数値ばかりを追い求めるのは、本末転倒です。どれほど頑丈で暖かい箱であっても、使い勝手が悪く、変化に対応できない家では、長い年月の中で「暮らしの質」は確実に損なわれていくからです。
スペック競争の落とし穴
構造や省エネの数値を上げることは、今の技術をもってすれば、金をかければ誰にでもできます。しかし、構造をガチガチに固めすぎれば間取りの自由度は失われ、断熱のために窓を極端に制限すれば、外との繋がりや開放感といった「居心地」が犠牲になります。
構造や省エネに資金と関心を全振りし、意匠(設計の質)が削り取られた家は、果たして人生を預けるに足る場所でしょうか。数値を追いかけるあまり、そこで営まれる「日々の豊かさ」を犠牲にすることは、手段が目的にすり替わっています。
建築士の仕事は「正三角形」を描くこと
私が設計において最も知恵を絞るのは、この「正三角形」をどう描くかです。あなたの予算という限られたリソースを、「構造(命を守る強さ)」「省エネ(暮らしを支える体質)」「意匠(暮らしの質を決める設計)」に、どう正しく分配し、調和させるか。
耐震や断熱の等級を競うのではなく、あなたという住み手に似合うバランスを、対話の中から導き出すこと。スペックという「記号」に逃げず、数値化できない「居心地」に責任を持つこと。この三要素が正三角形のバランスを保ったとき、家は初めて、あなたの人生を支え続ける「質の高い場所」になります。